認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと おみとり(脳血管性認知症6年目/2022年、80才)

↑こちらの続きです。

 

10月4日(火)

いつ呼び出されてもいいようにというのは、この6月からずっと、いやそれこそ親と離れて暮らしてからいつも思ってはいたことだけど、この日は家族全員が不安な気持ちのままだったと思う。

俺は1回4時前に起きたのだが、ちょうど4時頃にまた眠ってしまった。

 

5時半頃俺が起きたのは、親父から「電話!」という呼び声だった。

施設は俺の携帯に直接かけてくる手筈だったのだが、俺が出ないので実家の電話にかけてきたらしい。

即座に下に降りて電話を取ると、、、

 

「先ほど息を引き取りました」と。

聞けば4時半頃容体が悪化し、すぐに息を引き取ったらしい。

もちろん施設の人も俺の携帯に電話してくれてたのだが、実はスマホの設定を変えていたこともあり全然気づけなかったのが悔しい。

 

即座に家族3人で施設に向かう準備をする。

向かう前に以前相談していた葬儀屋に電話し、母ちゃんが亡くなったことを伝える。

ただ、まだ死亡確認ができていないので、あらためて施設に着いてからかけ直すことにした。

 

施設に着くと、検査も不要でそのまますぐ母ちゃんの部屋に通される。

 

 

母ちゃんの友達から以前もらっていたパジャマを最後は着させてもらうよう話していたので、そのパジャマを着て寝ていた

母ちゃんはまったく動かなかった。

 

もう動画を撮る必要は無くなったんだね・・・

昨日でさえ、目とか少し動いたし、呼吸するので胸も少しは動いたのに・・・

10月1日に本当の覚悟をしたとはいえ、その前の9月27日の時点で病院に行かず、おみとり判断したことが本当に正しかったのか?と頭をよぎる。

 

 

特に何をするというわけでもなく、それからは死亡診断をする医師が到着するのを待った。

医師が到着し、正式に母ちゃんが亡くなったのが6:03。

 

俺はすぐに葬儀屋に電話をかけ迎えに来てもらうよう手配した。

1時間くらいかかるということで、その間にコンビニに行って母ちゃんも俺も好きなコーラを、弔う意味でも飲んだのがこれ。

 

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そして、母ちゃんが旅立つと同時に以前撮っておいたYouTubeをアップした。

残念ながらね・・・

 

これがまたとても不思議なことが起きて。

だいたい俺の動画は1ヶ月経っても再生回数が1,000回いかないのが多いんだけど、この動画は5日目で1,000回を超えた!

そもそもアップして2日で500回超えたんだよな。

母ちゃんが亡くなったことは、母ちゃんのことをすごく慕ってくれてた俺の親友にはその日中に伝えたので、 思わず「すげ~再生してる?」と聞いてしまった。

親友たちは再生してなかったので、これは母ちゃんマジックなんだろうな。

未だになぜこの動画だけ初速が、とんでもないことになっているか原因不明w

 

話を戻して葬儀屋を待っている間に、家族で母ちゃんの墓の話をした。

予想に反して親父が「樹木葬でいいんじゃないか?」と言ってきた。

費用もかけず、立派なのもいらないし、ということを。

『墓でごねられたら、また困るな』と思っていた俺は胸をなでおろすとともに、場所について親父に聞いてみると、特に埼玉にこだわらなくてもいい、とのこと。

 

俺としては母ちゃんの友達がいる横浜近辺が良さそうだな、と思っていたので、この日から真剣に墓を探すことにした。

遅いのだがね・・・

 

本当に1時間くらいだったかな?

葬儀屋の方が施設に来てくれて。

ただ、驚いたことに1人!

施設の方が手伝うとはいえ、1人にはびっくりした。

ホールにいた俺たちに深々と頭を下げ挨拶をしてくれて、「では」ということで母ちゃんの部屋に向かった。

この迎えに来てくれた方が、本当に×2いい方で。

最後の最後まで俺はこの人がいてくれたから、この葬儀屋に安心して任すことができた。

本当にありがとうございましたm(_ _)m

 

そして、しばらくしてからストレッチャーに横たわり顔も隠した母ちゃんが”運ばれる”のを見た時、俺は涙が止まらなくなった。

 

悲しいとかではなく、

  • 良く頑張ったね
  • アホな家族ばかりでごめんね
  • もっとしてやれたのでは?
  • 可哀想な母ちゃん

そういった想いな気がする。

 

母ちゃんが死んだ、ということを一番実感した場面だった。

 

 

この場では、母ちゃんの顔を見たり、体に触ることはできず、まずは安置場所に連れて行くことが先決みたい。

俺たちも施設の人に、ひとまず感謝し、そのまま葬儀屋に向かう。

母ちゃんを安置する間、葬儀屋とあらためて10時から葬儀内容について話すことを決めた。

 

そして安置所の準備ができたということなので、俺はすぐ近くのスーパーマーケットで花と、ちょうどおはぎがあったので、ペットボトルの飲み物と一緒に買った。

そのまま8時くらいに母ちゃんの所に行き、、、

 

冷たい安置所の中、ストレッチャーの上で寝ていた母ちゃん。

「お腹すいたでしょ?辛かったね?もういっぱい食べていいよ」

 

と買ってきたものを”置いた”

そして、俺はまた泣いた、、、

 

この1週間、

久々に母ちゃんと会話もできた1週間。

たった1週間だけど、とんでもなく状況が変わった1週間。

戻りたくても、絶対に戻れない1週間。

その間、ごはんも食べられず、水も唇を湿らすくらいしかできなかった1週間。

 

本当に辛かったよね?

良く頑張ったね?

もう、何も我慢せず、本当に×2好きなものを食べて、好きなことをして、何の心配もなく、、、

 

 

 

俺は1度実家に帰り、とはいえ実家と葬儀屋は歩いて3分くらい!w、あらためて10時に家族3人で葬儀屋に行き、葬儀の内容を次々と決めていく。

正直、施設で母ちゃんが亡くなったことを確認した時から、葬儀のことばかり頭にあった。

良く言われるが、葬儀とは悲しみで前へ進めなくなることを防ぐものかもね?

 

家族葬でお金もかけず、ということでシンプルなプランなら12万円とパンフレットにあったが、結果60万円くらいかかったかな?

「これはどうされます?あれはどうされます?」と、棺、花、祭壇、装束、骨壺、司会、会場等々、1つずつ選択式で決めていくのはありがたいが、それぞれ選ぶたびに費用が加算されていく。

で、結果60万円くらい。

 

また、2022年はちょうど母ちゃんが亡くなった日までが暑くて、30℃くらいあった。

そのため、葬儀内容を決めている段階で担当がすぐに火葬場にいつ空いているか確認し、逆算して葬儀の日も決めたのだが、3日は待たなければならなかった。

 

その間の安置料?もかかるし、かついわゆる最後のお別れができるよう安置所で母ちゃんに会える状態にしておくと、ドライアイス代もかかる。

とはいえ、その状態も次が待ってるから長い間はいられないし・・・

そのため当日含め3日間だったかな?安置所に母ちゃんがいれたのは。

その間に親戚が来てくれたり、一番嬉しかったのはデイサービスの時にお世話になっていた例のケアマネさんが来てくれた時。

電話で母ちゃんが亡くなったことを伝えたんだが、伝えるだけで俺は泣いてしまったw

3日間は、朝と夕方と時間がある時に安置所に顔を出し、母ちゃんを見て、触れて、最後までの時間を過ごした。

 

今までは『死体に触るなんて・・・』と思ってたが、今回のことで良く分かった。

大切な人が亡くなった時は、体に触れたいものだ・・・。

コロナ禍が始まった当初は触れるどころが、見ることさえダメだったわけでしょ?

本当に悲し過ぎるよね、それは。

 

また、葬儀事業も本当大変なのがわかったが、遺族の気持ちももっと踏まえられる体制になったらいいよな。

俺もだが、みんな葬儀事業に目を向けなさ過ぎな気がしてきた。

 

 

9日の告別式まで時間ができたので、その間に俺はやれることをやることに。

4日当日は、お昼過ぎに介護施設に戻りいわゆる”遺品”を受け取った。

段ボール1つだったかな?

衣服やタオル、ぬいぐるみ、花、そしてiPadとかね。

 

そのまま市役所に行き、死亡届やら戸籍謄本等の手続きをしようとしたんだが、まだ葬儀屋から届け?が出てなかったので早過ぎたらしい(^^ゞ

この日は久しぶりにゆっくり晩ごはんを食べ、ゆっくり風呂に入った。

 

10月5日

所沢の年金事務所に行って、未払い年金の請求に必要な書類聞いて、その足で後見人である弁護士事務所がある川越に行って。

母ちゃんの相続に必要な説明を受け、そして俺は一旦横浜に帰ることにした。

相続すべき財産もほとんど無いので簡単ではあるのだが、それでも家族全員分の印鑑登録証とか、色々と必要でね。

あと、俺が相続の代表となるので、全部を1人でやらなあかんかったから。

ま、その方が楽だけど(^^ゞ

 

10月6日

朝から入間に戻り、11時から葬儀屋に。

この日は納棺。

2人の納棺師(というのかな?)が母ちゃんの髪を洗い、体を拭き、着替えさせてくれて、最後の化粧をしてくれて。

「髪がけっこう多くないですか?」と俺が言うと「そうですね!」と。

この時点までずっと口が開いていた母ちゃんだったが、きれいにしてくれると共に口が閉じた。

ただ、口が少し開いていた方が優しい表情だったので個人的にはそっちの方が良かったかな?w

すごく丁寧に母ちゃんに接してくれて、本当にありがとうございました。

 

納棺されると、もう母ちゃんには触れられない。

これもまたある種最後の別れでした。

 

そして、昼過ぎに俺はまた横浜に戻る。

最後の別れの準備のために・・・

 

7日

この日は1日横浜でゆっくり過ごしてた。

たしか雨が降ってた気がするな。

気になっていた指輪のサイズ直しをした。

葬式の日に流すCDも準備した。

 

8日

昼には横浜を出て、色々寄りながら夕方に入間へ。

 

10月9日

7:40に葬儀会場へ。

8:00~葬儀開始。

家族3人と叔父さん夫婦という計5人。

 

葬儀計画?を事前に出していたので、母ちゃんの大好きな山口百恵さんの”さよならの向こう側”とBOØWYの”CLOUDY HEART”が流れる中、葬儀が始まるのを待つ。

司会担当の方が「お母さん、BOØWYが好きだったんですか?私も好きだったんですよ!」とw

寿司とコーラを母ちゃんのために用意してたんだが、親父が「ビールの方がいいだろ?」と取り替えてもらったりw

 

2時間少しという葬儀が始まり、司会の方が母ちゃんの人生を振り返るエピソードを話してくれて、って、俺が事前に渡した母ちゃんから聞いていたことなんだが、まさか全部話すとは思わず驚いた!

まあ、親父が一番驚いたのかも知れないけどw

葬式の事前相談で『司会?いや、そんなものいらないけど、誰も来ないし』と思ってたら、こういうことだったんだね。

あって良かったかも?w

 

山梨から来たのかな?

葬儀屋に薦められたお坊さんが読経してくれたのだが、わざわざありがとうございましたmm

叔父さんも「最後の説法も良かったな」と言ってたのが印象深い。

 

すべてが終わり、最後の最後に母ちゃんの棺にみんなで花を入れていく。

 

ありがとう

そして、苦労ばかりかけてごめん

 

山口百恵さんの”さよならの向こう側”が響き渡る中、母ちゃんは霊柩車に乗せられ斎場(火葬場)へ向かう。

親父方のじいちゃん、ばあちゃんが亡くなった時も俺は霊柩車の直後についていったが、今回も同じ。

あの時以来の斎場。

 

斎場に3、4時間いた気がするが、実は1時間ちょっとだったんだな。

10:57に斎場について恐らくほとんどが母ちゃんが焼かれているのを待っている時間。

 

最後に母ちゃんに会う。

これが顔を見れる最後。

母ちゃんの姿を見れる本当に最後の時。

 

炉?かま?、とにかくでっかい円筒状の炉がいくつか並んでいる広い場所があり、その1つに母ちゃんが入っていく。

たしか7番だった気がする。

 

しばらく待った後、母ちゃんは骨になってしまった・・・

 

 

みんなで母ちゃんの骨を骨壺に入れる。

色々骨を持ち、「ここが腿の部分で~」と話してくれるが、『丁寧に扱ってくれ!』とかり思っていた。

最後はちり取りみたいなのに集めて、サーっと入れるのな。

じいちゃん、ばあちゃんの時は最後は見てなかった気がする。

 

 

12:14には斎場を出て、実家に戻る。

 

 

本当は10/5からなんだろうが、何だか今日からこの世に母ちゃんがいない新しい世界が始まった感じだ・・・

 

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認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと 永縁

 

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