認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症3年目/2019~2020年、77~78才)
↑こちらの続きです。
認知症4年目。
コロナのせいで2週に1回しか実家に行けなくなった俺。
相変わらず、行く度に夜中に1時間に1回は起きて、1階に降りてしまう母ちゃんを心配し2階に戻すw
母ちゃんは階段をゆっくりゆっくりと昇ることしかできなくなったが、逆に言うと何度も階段を昇るのでメチャクチャ足腰が強い母ちゃん。
そりゃ、そうだw
俺の実家に来た奴は知っているが、けっこう急なあの階段を一晩で4、5回も昇り降りすれば、嫌でも筋トレになるわw
ただ、転んで欲しくなかったし、母ちゃんが昇る時は、下からおしりを支えながら「そう、右足、左足」と俺は言いながら母ちゃんが昇る姿を見守った。
でもね、母ちゃんは2階で寝ることを嫌がらなかったし、階段も全然嫌がらなかった。
発する言葉は少なくなったけど、出かけた時に階段があって俺が「大丈夫?」と聞いても、毎回「大丈夫」と答え、ゆっくりだけど確実に階段を昇る母ちゃん。
また子バカだけど、『世界、いやそれは言い過ぎだとしても日本一筋肉がある母ちゃんだ!』と。
でも、これも”見て見ぬふり”だったのかも知れない・・・
そして、親父や兄貴の方がよほど疲れていたのだろうけど、俺自身も疲れてもいたのだろう。
母ちゃんは心配、でも、実家に行く足が重くもある。
そんなこと決して思ってはいけないのに。
2年目からそうだが、おむつがいっぱいになってしまい、それでもうんちをして。
だから、「気持ち悪い」と車の中でも家の中でもおむつを脱ごうとしたり。
その度に俺は「トイレまで待って」と言いながら、慌ててコンビニに寄ったり家に帰ったり。
もちろん、外出先ではおむつは回収し、きちんと持ち帰りはしましたが、迷惑をかけていたと思います。
『いつまで続くのかな?』と思ったのも事実。
『母ちゃんが、こうやって動けることは幸せだけど、火事とか車の事故とか不慮の事故で死んでしまっても・・・』と思ってしまったのも事実。
でもね、やっぱり生きていて欲しいんだよね。
俺でさえ、こう思うほど気力が弱るほどだったから、親父や兄貴はもっと疲れていただろう。
ただ、誤解して欲しく無いのは、親父や兄貴は母ちゃんに『死んでしまっても・・・』とは恐らく思ってないはず。
疲れてはいるけど、彼らはそういう感情が無く、ある種優しいからずっと目の前に起きていることはきちんとやっていく力があった。
特に兄貴は優しいからおむつを替えることも、おむつから漏らして母ちゃんの体も服もうんちまみれになっても、拭いて、母ちゃんの体を洗うことに、そんなに考えずやってあげていた、と思う。
そして、この頃から、さすがの母ちゃんも”誤嚥性肺炎”になることになる。
最初は2020年の11月頃だったか?
年末には入院したかな?
誤嚥性肺炎とは、
本来、食べ物や飲み物は”食道”を通って胃にいく。
けれど、お年寄りは筋力低下とか、麻痺とかもあり、食道では無く”気管”にいってしまい、食べ物や飲み物が”肺”にいってしまう。
肺は異物が入ると、菌が増殖してしまい、色々な病気になってしまうし、何より熱が出てしまう。
2021年1月
無事に退院し久々に横浜に来れた時。
母ちゃん宛に年賀状が来ていたので渡してあげたら真剣に読んでくれる♪
「○藤さんからだよ」と伝えると、うなづいて理解してくれていた。
じ~っっと、本当にじっくり読んでいた。
この写真はお礼がてら2022年の年賀状として送らせていただきました。
2021年2月7日
この日はすごいことがあった!
いつもの横浜の家に向かったが、ついでにニトリに寄った。
大きなショッピングセンターで買い物する時は、できるだけ母ちゃんにショッピングカートを押してもらう。
入口にショッピングカートが無いお店とかであれば車いすを使う時もあるのだが、できるだけ歩いてもらうようにしていた。
また、母ちゃんもショッピングカートがあると、ゆっくりだけど安心して歩く。
ここでもタオルとかを母ちゃん自身で選んでもらい、レジでは母ちゃんから店員に商品を渡してもらって。
ちゃんと『自分が買ってる』という意識を俺は持ってもらおうとしていた。
そしていつものように横浜の家でお風呂に入れてあげて、とはいえ、この頃はもうお風呂も少し湯船に入ったらすぐに出ようとしちゃうのだが(^^ゞ
配慮食のごはんを2つくらいかな?、ゆっくりゆっくり俺が「アムアムアム、そうよく噛んで。ごっくんって飲み込んで!」と繰り返し言いながら。
そんなこんなしてから横浜の家を出て入間の実家に向かった。
実家の近くでドン・キホーテに行く用があったので屋上の駐車場に車を停めた。
いつもなら母ちゃんの手を繋ぎ一緒に買い物するのだが、急いでいた俺は母ちゃんに「すぐに戻ってくるから車で待っててね!」と2回くらい念押しして、店内で買い物をして車に戻った。
ところが!
母ちゃんがいない!
助手席のドアは開けっ放しで、屋上の駐車場には見当たらない。
エレベーターに近い所に停めてたので、『もしや?』と思い店内に俺は戻る。
この日もドンキはかなり人が多く、『バランス感覚を失っている母ちゃんはすぐに転んでしまうな』と心配しながら探していたら・・・
いた!
母ちゃんが転ばずにゆっくりだけど1人で店内を歩いて、ちょうど俺を見つけてニコニコっと笑った!
そう、認知症2年目のいつもニコニコして、よく喋ってくれた時のように!
「ダメじゃん!1人で来ちゃ」と言っても、得意なのか?w、1人で店内に来たのが嬉しかったのかニコニコしていたw
「転ばなかった?」と聞くも答えは無いが、ニコニコしてて、どうやら大丈夫だったみたい。
同時に俺は「さすが母ちゃんだ!」とも思ったけどw
同時に『やはりうちの母ちゃんは目を離してはいけないな』と反省もしました(^^ゞ
そして、3月に母ちゃんはまた誤嚥性肺炎で入院した。
『もしかしたら・・・?』と思い、さらにコロナでお見舞いに誰も行けないし『1人で寂しく病院のベッドにいるのは可哀想』とも考え『少しでも何かないか?』と実家でぬいぐるみまみれだった母ちゃんのために、アンパンマンのぬいぐるみを持ちコロナ禍の病院に向かった。
そして受付の人にぬいぐるみを母ちゃんに渡して欲しいことを伝え、その話を受け来てくれた看護師にアンパンマンのぬいぐるみを渡した。
アンパンマンって、俺はそんな知らないけれど正義の味方でしょ?
まあ、母ちゃんはバイキンマンのぬいぐるみの方を先に持ってたけどw
その甲斐あってか、無事退院できた母ちゃん。
母ちゃんの大好きな桜の時期に入院していたから、平野では見れない時期でも桜を見れる”皆野町”の公園に俺は向かった。
2021年4月11日
でもね、、、
もう、駐車場から公園には母ちゃんは行けなかった・・・。
だから、秩父盆地の桜を車の中から見たんだ。
「お母さん、桜だよ。どう?」
公園の時は何も言わなかった母ちゃんが、ここでは、
「きれい」と言ってくれた。
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4月26日
母ちゃんが好きなショートケーキを買った!
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もはや固形物をほとんど食べられないし、水を飲むのも難しい母ちゃん
が、ケーキは飲み込めるw
そして、固いいちごもなぜか飲み込めるw
好きって凄いな笑
本来、少なくとも、もう半年前にはデイサービスでは無く、ショートステイでは無く、施設に入っていた方が良かったのかも知れない母ちゃん。
ただ、親父の理不尽な考え、俺の至らなさから、ずっと実家で過ごしていた母ちゃん。
この2021年夏、またもや、しかも2回?、実家の階段から落ちて、頭を縫う怪我をした母ちゃん。
そんな痛々しい母ちゃんを連れて、車で実家と横浜の家を往復する。
認知症のいいところなのか?悪いところなのか?未だに分からないが、痛さを感じないのか、痛さより出かけることが好きなのか?w、相変わらず車に乗ることが大好きな母ちゃん。
寒い冬も、熱い夏でも、いつも1階に降り、玄関を出て、車の助手席に座って、親父や俺がどこかへ連れていってくれるのをひたすら待つ母ちゃん。
親父が連れて行ってくれないと、仕方なくつまらなそうに1階の椅子に座る。
俺がいる時は2階に昇ってきて、声は出さなくなったが、指で車の方を差し「ほら、行こう」と促す母ちゃん。
ごめんね、もっとドライブしなくて。
怪我している時は、さすがに横浜の家に来ても風呂に入れることはできないので、ごはんだけ食べてもらった。
そういや、冬は俺が作ったシチューを食べてもらったこともあったなw
シチューを食べてもらった時は、もう介護食の方が良かったのだが、じゃがいもやにんじんを小さめにしたとはいえ、ちゃんと食べてくれた。
俺が茹でたそばも食べてもらったし、まさか料理をしなかった俺の料理を母ちゃんに食べてもらう日が来るとは思ってなかった(^^ゞ
2021年8月22日
いつものように、入間から横浜に向かう俺たち。
お彼岸やお盆とか、定期的に母ちゃんの母ちゃん、俺のばあちゃんの墓参りに行ってて。
この年は3月のお彼岸に母ちゃんは入院していたから、夏で少し心配ではあったが、辻堂に墓参りに行った。
もう、自分からお墓に向かおうとはしなくなった母ちゃんの手を取り、お墓の前で「いい?ここにいてね」と念を押し、俺は桶に水を入れ、線香に火を付けお墓に戻る。
「手を合わせた?」と母ちゃんを促しながら、お墓参りを済ませ、横浜の家に行く途中不二家に寄った。
10日前に誕生日だったし、ショートケーキを買うために。
この時も前回と同じくいちごまで食べたのかな?
それとも、もうダメだったかな?
覚えてないや(^^ゞ
ちょうど、この日、横浜の家に着いたらパジャマをくれた母ちゃんの友達に会った。
エレベーターに一緒に乗り母ちゃんの友達が色々話しかけてくれたが、母ちゃんのリアクションは今一つ(^^ゞ
けれど、家で俺が母ちゃんに「○○さんに会えて良かったね?○○さん覚えている」と聞くと「覚えてる」と。
母ちゃんを風呂に入れ、ごはんを食べてもらってると、母ちゃんの友達が来てくれた。
母ちゃんは風呂から出た状態だし、うちはなかなか人を入れるほどの家ではないので(^^ゞ、玄関先で母ちゃんの友達と俺が話すだけになってしまったが、母ちゃんのためにぶどうを持ってきてくれた。
「ありがとうございます!」と言い、早速俺は母ちゃんにぶどうをあげた。
皮をむいて母ちゃんに渡すと、もちろん食べるw
「おいしい?」と聞くと、「おいしい」と。
俺も食べさせてもらったが、本当に大きくて、甘くて、おいしいぶどうだった。
お墓詣りもできて、友達にも会えて、ケーキも食べれて、ぶどうも食べれて、、、
本当にいい日だったね!
そして、この日が母ちゃんと友達が会った最後の日になった・・・。
そして、俺もこの日から10か月間、母ちゃんと会えなくなった・・・。
そして、また9月。
2021年9月5日
2週間空けて実家に行った俺に親父は「お母さんはいないよ」
母ちゃんが認知症になってから、最も大きなターニングポイントの9月だった・・・
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認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症5年目/2021~2022年、79~80才)
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