認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと
認知症になると、それまでとは違った言動をするようになる。
- そばを食べなかったのにそばを食べるようになったり
- 色々なところを歩いて回ったり
- ぬいぐるみを欲しがったり
- ショートケーキを無邪気に欲しがったり
- 何を見ても「欲しい!」と言ったり
- 「嫌だ!」ということが増えたり
それは、その人が、
”本来の自分になった”
もっと言えば、
それまでは人に気を使ったり、人目を気にしたりして我慢していたものを解放し、
”やっと本来の自分になれた”
と俺は感じた。
脳血管性認知症と診断された母と接するうちに。
できたことができなくなってくる、という悲しみはもちろんありますが、
そう、それはある種”幸せなこと”でもあるのではないでしょうか?
有名なお笑い芸人が自分のばあちゃんのことを「ボケて~~」とお笑いに変えていることがあった。
俺は”ボケ”という言葉は嫌いだ。
まあ、そのお笑い芸人は色々なことを笑いに変えるからこそ、人々を幸せにしているので否定はしないが、俺はその話をしている時のそのお笑い芸人は嫌いだ。
もちろん個々の差はあるし、俺の母ちゃんは人数も多いアルツハイマー型認知症ではなく、あくまで脳血管性認知症のため、一概に言えないのはわかります。
けれど、、、
「ダメでしょ!」
「何やってんの!?」
ではなく、
「何をしたいの?」
「何をしたかったの?」
と、”本人の意志”を理解しようとする姿勢が周りに必要だと感じました。
そんな母ちゃんと俺の一部を紹介し、誰かの参考になれたら幸いです。
というのも、母ちゃんが認知症になった時、俺は戸惑い、この先どうなっていくかわからずネットで調べました。
『結末はどうなるの?』
認知症という言葉は良く聞くけれど、『実際にどうなっていくのか?』がまったくわかりませんでした。
ましてやうちは典型的な核家族。
母方のじいちゃんは、母が2才の時に戦死していて母ですら記憶が無い。
ばあちゃんは、俺が2才の時に肺がんで亡くなり、俺は記憶が無い。
父方のじいちゃん、ばあちゃんは、俺が20代半ばだった頃に亡くなったが、お盆と正月に会うくらいで、会話らしい会話をしたことが無い。
そんな俺は、認知症どころか、”死”ということすら身近に感じたことが無い。
今、俺みたいな人も多いのではないでしょうか?
その時、参考になったのが、ある人の日記でした。
その人の親の認知症の進行具合が時系列で書かれていて、すごく悲しくもなるけれど、すごく救われもして。
その人も辛いだろうにネットに公開してくれたことにより、俺も進む勇気を持てました。
ただ、その日記も俺は最後まで読まなかった、いや読めなかった気がする。
自分の母ちゃんが、その道を進むかと思うと涙を流しながら俺はあまりにも悲しくて。
俺の場合、実際は悲しいだけじゃなく、とてもHAPPYな楽しいこともあり。
そして、何よりも今までの母ちゃんと俺なら絶対にできなかったことも数多くやれたと思います。
手を繋いで一緒に歩いたり。
ただし、前提として俺は認知症になる数年前から母と一緒には暮らしておらず、認知症になってからも、もちろん毎日介護もしておらず、親父や兄貴が母ちゃんの世話を毎日していた。
そのため、本当の介護の辛さや限界を超えた身内の厳しさはわかっていないとは思いますが、それでもぜひ読んでみていただければ幸いです。
■目次
認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症初日/2017年、75才)
認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症1年目/2017~2018年、75~76才)
認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症2年目始まり/2018年、76才)
認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症2年目/2018~2019年、76~77才)
認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症3年目/2019~2020年、77~78才)
認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症4年目/2020~2021年、78~79才)
認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症5年目/2021~2022年、79~80才)
認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと おみとり(脳血管性認知症6年目/2022年、80才)
2022/10/4 特別な日に・・・
スポンサーリンク