第1章 自己の形成 第1節 自己の土台構築

第1章 自己の形成
第1節 自己の土台構築

坂本竜馬は、1835年坂本八平の次男として生まれる。
坂本家は土佐の身分制度では、下層に当たる郷士階級であった。
しかし坂本家の本家は才谷といい、富裕な商人である。
これら2つの背景により、彼は武士階級特有の封建的拘束力に悩まされなかったのである。
また現実的な利益を求める態度と、堅苦しくない富裕な商人独特の寛大さが備わったといえる。
12歳のときに楠山庄助の塾に通うが、すぐに退学してしまう。
この後も正式に学問を学ぶ機会はなく、自ら「余、早くより学を廃し、
今は不幸にして無学者となれり」(弘松宣枝『阪本龍馬』『坂本龍馬日記』上巻17頁による)
と語ったという。
このことも彼に形式や既成概念にこだわらずに、活動させていく要因となっている。
14歳になって日根野弁治道場に入門し、小栗流剣術を学び始める。
このころに”泣き虫竜馬”と異名をとったりもしたが、徐々に心身ともに逞しくなる。
19歳で小栗流和術の初伝目録を貰い、さらに江戸に修行にでるのである。

1853年3月に高知を出発した竜馬は、3ヶ月後の6月に
ペリー艦隊の来日を間近で体験することになる。
ペリー来航に伴い彼も藩の招集を受けるが、その直後に父に宛てた手紙で
自らの心境をよく伝えている。
「異国船処々に来り候由に候へば、軍も近き内と奉存候。其節は異国の首を打取り、
帰国仕候。かしく」
(9月23日付坂本八平宛竜馬書簡『坂本龍馬関係文書』1巻38頁)
時代の子として、彼も普通に攘夷思想になっている。
翌年竜馬は1年3ヶ月の修行期限を終えて高知に帰る。
彼は小栗流の中伝目録を得、修行の成果が上がったことを意味する。

ここで竜馬は初めて不思議な行動をするのである。11月に河田小龍のもとを訪れるのである。
当時河田は中浜万次郎から話を聞いて、『漂巽紀略』という著書にまとめている。
また薩摩藩へ実際に西洋技術を取り入れているのを、見学しに行ったりしているのである。
そこで彼が学んだものは、当時の日本の軍事力では、攘夷が不可能だという事であった。
そのことは若い攘夷派武士たちには、日本男子を冒涜する者として捉えられたのである。

その河田に攘夷主義である竜馬が会ったのである。
後に竜馬の盟友となる武市瑞山は、攘夷をさせるために朝廷工作をするのである。
その目的は幕政改革を狙ったものでもあったが、同時に諸外国から、
神州である日本を守ろうとするものであった。
土佐勤王党の盟約書に彼の考えがよく表れている。
竜馬も勤王党に加わるが、ほぼ瑞山の考えと同じであったといえよう。

竜馬と河田が会ったのは2度だけであるが、この時に外国の知識を、多少ならずとも
聞いたのは間違いないであろう。
ここで彼は単純な攘夷思想に対して、疑問を抱き始めたのではなかろうか。
しかし当時攘夷思想が全盛の時に、開国思想の河田のもとを訪れたというのは常識破りである。

竜馬の思想に変化が表れ始めた頃、彼は再び武芸修行のため江戸にでる。
1856年江戸に着いた竜馬を待っていたのは、志ある諸藩の人物たちであった。
なかでも同じ土佐藩の武市瑞山も江戸に来ており、二人の交流はこの頃始まったようである。
1857年には土佐藩邸で武術大会が開かれており、それには長州藩の桂小五郎も出場している。
当時すでに下田条約が締結され、将軍継嗣問題も起きている時期である。
彼らが剣術だけでなく、政治面の話題をしたのは容易に想像できる。
瑞山や桂と接触するに及び、竜馬は志士としての影響を自然に受けていったのである。

1858年9月に高知に戻った竜馬は、11月に水戸藩の住谷寅之介に会う。
住谷は当時水戸藩に下された密勅の内容と、それを巡る状勢を伝えるために
西国の諸藩を歴訪していたのである。
その住谷に「龍馬誠実可也ノ人物、併撃剣家、事情迂闊、何も不知トソ」
(『坂本龍馬関係文書』1巻55頁)と評されている。
まだ彼は志士としては未熟であった。
しかしその誠実さは早くも、一流志士から認められているのである。

1861年8月江戸において土佐勤王党が結成される。
その党首である瑞山はすでに九州を遊歴したり、江戸において諸藩の志士たちと会談していた。
会談の結果、各藩士はそれぞれ自藩に帰り、藩政府を改革し、諸藩の連携を深め
日本の改革を目指していたのである。
9月に高知に帰ってきた瑞山によって、竜馬や中岡慎太郎、吉村虎太郎らも加盟。
200名余りの組織に発展し、土佐藩の下層武士階級が団結したのであった。
10月上旬頃竜馬は小栗流和術の皆伝免許を受ける。
武士としての実力が申し分なくなり、他人に対し自己を主張するものができ、
ついに彼は活動の第1歩を踏み出すのである。
彼の目的はまだはっきりしていなかったかもしれないが、
その目的を探すために諸国へ旅立つのである。

第2節 志士への道

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