認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症4年目/2020~2021年、78~79才)

↑こちらの続きです。

 

5年目は10ヶ月間、俺には母ちゃんの記録、そして記憶共に無いです。

というのも、”適切な介護を受けさせていない”ということで、親父が虐待認定を受け、母ちゃんは市の保護の元強制的に施設に入り、家族にも居場所を知らされなかったからだ。

母ちゃんは8月末か、9月頭に親父から離され、施設に入っていたから、俺は実家に行っても母ちゃんに会えなかった。

 

話は遡り、2020年、母ちゃんが認知症になってから3年目の夏。

親父が俺に「もう限界だ」と言ってきた。

 

要は金。

 

うちは母ちゃんが家計をやりくりし、親父が退職し年金生活になってからは、それこそ母ちゃんが本当に大変だった。

自分の食べるものを減らしたり、ちゃんとしたもので無いものを食べて節約していたんだと思う。

実は、うちの家族は親父が現役時代も、年金生活になってもけっこうな金額をもらっていた。

 

母ちゃんが認知症になる前から、親父がやたら物を買い、毎週趣味で出かけ、年末年始や同窓会とかで出かけ・・・

母ちゃんの苦労は、横浜を離れ入間に行ってからの方がすごかったと思う。

 

そんな母ちゃんが認知症になって、親父が金を管理することになった。

親父も大動脈解離を2007年に、その時のカテーテル検査でゴミ?が脳に行き、脳梗塞になり左半身が不自由に。

それはそれで大変だが、元々金の管理なんかできない人だったし老化もあるだろう。

ただ俺は「まさかそこまでひどくないだろう?」と思っていたのが、想像を上回った。

 

とにかく、本人は安い食べ物を食べることで節約してるつもりだろうが、余計なものを買い続けていた。

機械が好きなので、中古のPCやモニターやら、いつもPCに向かいアマゾンで・・・

そして、実家はタバコを販売しているが、その発注内容もひどくなっていて、ここ数年はずっと赤字。

 

俺がちょっと発注の仕方に口を挟もうものなら「いいんだよ!お前には分からないんだよ!」と怒鳴る。

とにかく、昔から自分の思うようにするだけで、歯向かう人には怒鳴り、時には手を上げる親父。

 

そんな親父がついに「限界だ」と言ってきたので、俺は『やっとうちを、母ちゃんを正常に戻せる』とホッとしつつ、『俺が頑張らなきゃ!』と思ったのが2020年の夏だった。

 

だが、、、

母ちゃん、そして親父も介護のデイサービスを受けていたので、それぞれのケアマネさんやら、介護担当の方々が10人弱揃い、今後の介護プランを立てようとする中、親父は俺がそこに参加していることが腹立たしく、ただ怒鳴っているだけだった。

結局、その日も何も解決せず、ただジリ貧になるだけで先が見えないままだった。

 

そして、俺は母ちゃんの介護担当の人に相談した。

「母ちゃんの年金を親父に使わせないようにできないか?」

そう、親父は自分が金を管理するようになったことをいいことに、母ちゃんの年金を使い込み自分の好きなものに金を使ってた。

 

俺自身が母ちゃんの面倒を見れないのだから親父のことも言えないのだが、あまりにも自分のためにしか金を使わず、俺も含め介護してくれる方々にも怒鳴り自分勝手な親父から母ちゃんの金を守るために、最悪の手段も検討するようになった。

 

本来母ちゃんは週に3回では無く、もう少しデイサービスに行ったり、施設に入所した方が良かったのに親父が認めず(金を払いたくないから)実家で過ごしていた。

とはいえ、施設に入るデメリットもあるから、一概には言えないけれど。

 

個人差はあるだろうけれど、認知症の方がショートステイ等で無く、ずっと施設で暮らすようになると、とにかく怪我をしないため、あまり動かなくなる。

そのため認知症が進み、体も弱くなり、死期が早まることもあるのかも?

もちろん、施設の方が認知症の方に合った食事を提供できるし、適切な介護を受けることができて、逆に元気になることもあるだろうし、むしろ家にいるより安全なこともある。

判断は家族がするのだが、とても難しいが、2020年の段階で俺は母ちゃんを一時的に強制的に施設に入れてもらうのがいいのでは?と考えていた。

 

とにかくうちは、母ちゃんが本来適切な介護を受けるべきなのに、親父が金を自分のために使っていて母ちゃんは虐待を受けていると認定された。

 

さらに2021年は、春、母ちゃんが退院した後、実家で2回も怪我をしたことを受け、市が動いてくれた。

適切な介護を受けさせない虐待、ということで、母ちゃんを施設に入れてくれた。

 

1年前からこの方針を了承していた俺は『やっとか?』と思いつつも、周りでも聞いたことが無い状況に不安になりつつ、9月に市の担当者からの電話を受け市役所に行ったのが2021年10月1日。

 

俺自身が成年後見人になることもできるが、書類の準備やらで時間がかかるだろう、ということで市が弁護士を選ぶことに。

「2、3ヶ月くらいはかかるかも?」ということだったが、とんでも無かった。

 

2022年5月。

成年後見人となった弁護士から電話があった。

7ヶ月かかった・・・。

これには後日談があるのだが、それはまた後程。

7ヶ月間は俺でさえも母ちゃんが入所している施設を教えてもらえなかった。

ただ、市役所の方々はもちろん良い方々ばかりで、母ちゃんのために最善のことをしてくれていたし、俺に対しても色々丁寧に説明してくれ、うちの事情も良く理解してくれていた。

 

そして、この時、正式に俺は、親父と同居していない、かつ元々介護してくれる方々に協力的だったということで、母ちゃんと会うことを許可された。

市が母ちゃんを施設に入れているという状態から、家族が申し込んだという状況にするための手続きを2022年6月30日にすることになり、その時にやっと母ちゃんに会えることに。

 

 

ところが、、、

2022年6月17日

母ちゃんが救急車で病院に搬送された。

 

その日の夜、実は俺はあきらと会う約束をしたのだが、その途端成年後見人である弁護士から電話があり、まず聞かれたのが、

 

「延命措置を希望しますか?」

 

俺はあきらに行けなくなったことを伝え、その時に送ったのがこれ↓

「30日に会う予定だったんだが、夕食後呼吸の状態が良くないってことで救急搬送されたらしい。今から所沢に行ってくるわ」

 

そんなことってある?

やっと母ちゃんに会えると思ったら、いきなり死ぬかも?って。

もちろん俺は「希望します!」と伝え、すぐに病院に向かった。

その病院が所沢明生病院。

 

とても、とても素晴らしい病院だった。

感謝してもしきれないくらいありがたいし、医師、看護師、リハビリ担当、みんな本当に素晴らしい方々でした。

受付の方もいい人ばかりなんだが、1人若干冷たい感じの人がいてw

でも、その人も結果メチャクチャいい人だったんだけどねw

 

21時頃小手指駅に着き、カーシェアで車を借り、急ぎつつ『事故ってはいけない』と考えながら病院に着く。

久々に会う母ちゃん。

『どんなだろう?』と思うも「延命措置を希望しますか?」と聞かれるくらいだから『ひどいのかな?』とも思い。

 

着いたら看護師の人が少し状況を説明してくれて。

どっちが先だったかな?

当直の先生の話だったかな?

母ちゃんのレントゲン写真を見せてもらいながら、丁寧に今の状況:誤嚥性肺炎で熱があること、年齢も年齢なので予断を許さないこと、要は最悪の状態もあることを説明していただけた。

すごくわかりやすく、俺の気持ちも汲んでくれながら、話しにくそうにはしつつも、万一のこと、今後も以前のように戻るのは難しいこと等を、きちんと説明していただけました。

 

そして、、、

母ちゃんに会った。

俺の撮り方もあるのだが、さすがにその写真は載せられない。

7ヶ月前に会った時とは変わり果てていた。

顔はやつれ、もうとてもじゃないが、手を繋いで一緒に歩けない状態だったし、そもそも完全に声を出さなくなっていた・・・。

 

でも、ちゃんと俺に反応してくれた。

「お母さん、大丈夫?」

目を開けてくれた。

 

久々の母ちゃんとの再会を短いながらも終え、入院のことを教えてくれた弁護士と連絡を取り、今後のことを話す。

看護師からも、万一の時の連絡等を相談し、俺は家に帰る。

 

コロナが少し落ち着き始めた6月だったので、面会はできるようになっていたが2日に1回、10分間という状況。

そのため1日空けた6月19日に俺は病院に向かう。

元々、家族の中で俺だけは母ちゃんと会える状況だったので、この時から俺はできる限り母ちゃんに会いに行くことになる。

 

その前日、6月18日。

母ちゃんにワンちゃんを飼ってあげられなく、そして、病院のベッドで1人寂しくいると思うと、『少しでも寂しくないように』と、ワンちゃんのぬいぐるを買った。

 

そして19日に会いに行くと少し元気になっていて、目も2日前よりしっかり開けてくれた。

 

ワンちゃん可愛いでしょ?w

俺は名づけるのが下手なのである人に名付けてもらったのだが、”ちゅーた”と言いますw

 

そして、翌20日も俺は病院に行った。

20日は元々面会の予約入れてて、19日は書類の提出がてらダメもとで「会えますか?」と言ったら一見冷たそうな受付の女性が、母ちゃんの病状とかも察してくれたのかな?

ナースステーションに確認してくれて「どうぞ」とw

本当にありがとうございました!

俺は病院に行く度にiPadで、母ちゃんと温泉に行った時の写真や動画を見せる。

その度に、母ちゃんはしっかり画面を見るんだよな。

元々母ちゃんは好奇心旺盛なのだが、そういったところは全然変わってないw

 

そして、6月21日。

担当医師から母ちゃんの状況について説明があるということで、病院に向かった俺。

この日は、成年後見人である弁護士も来ることになり、俺も初めて会った。

そして、共に担当医師の話を聞いた。

 

「もう最後の時らしい。

誤嚥性肺炎なんだが、もう飲食するとどうしても肺に物がいってしまい、肺炎になってしまうらしい。

決断を俺がしないといけなくて。

今は落ち着いているんで、また週末に会いに行って、来週中には色々決めないとな、と思ってる。」

↑あきらに送った俺のLINE。

 

あきらは俺の幼馴染みで、親同士もけっこう深い話をした仲で。

母ちゃんが認知症になってからも、あきらは小さい頃から会ってた時と同じように母ちゃんに接してくれて本当に感謝。

だから、いつもあきらに頼ってしまう(^^ゞ

 

話を戻すと、

決断とは、

管を体中に繋がれながらも生かすか?

それとも、

治療はしないけど、苦しまないよう穏やかに死なすか?

 

そんなことってある!?

7ヶ月も会えなかったのに、やっと会えたと思ったら母ちゃんを”死なす決断”を俺がしないといけないなんて

 

俺が行けば、目も開けるし、喋りはしないけど口も動くし、反応もする、、、

要は”人として生きてる!”

 

そんな母ちゃんを死なす判断を俺がするの!?

そんなことできるわけがない・・・

けれど、決断しないといけない・・・

 

たとえば気管を切開し管を繋いでしまうと、見るに見かねた家族が「もういいです。終わらせてください」と言っても、病院は管を抜けないらしい。

治療行為の終了は、改善した時だから。

なので、治療中に管を抜いてしまうことは殺人になってしまうので、家族の意思で終えることはできないらしい。

 

だからこそ、この時点での判断は本当に難しい。

 

そして、これまた友達の英二に救われた。

すでに書いたが、英二も母ちゃんと仲が良かったから、今回のことを俺が伝えた時に返ってきたLINEがこれ。

「なんとも言えないけど、おばさんは人生がんばったよ。

あとは、TOMOくんがどう決めるかだね。

決めたことは間違いじゃないよ。

おばさんもそう決断すると、思うよ。

いま、仕事中なんだけど、泣きそうだよ」

 

あきらといい、英二といい、本当に俺はいい友達を持った。

本当にありがとう。

 

この言葉で俺は救われ、前に進む覚悟ができたと思う。

思えば、この時はほんの少しの覚悟だったんだろうけどw

なぜなら、この後、俺は何度も覚悟をすることになるからw

 

先生の話では、今の状況だと療養型病院が良さそうな話だった。

というのも、施設では誤嚥時の吸引はできるけど、医療行為ができないから。

そこまで母ちゃんの状況は悪かった、ということだ。

1ヶ月(生きるの)は難しいのではないか?という感じ。

 

「8月12日が誕生日で、80才になるんですよね。そこまでは」と俺が伝えると

先生も「80才か~、そうだよな~」みたいな感じで俺の気持ちを理解してくれた。

 

こういう家族に言いにくい「覚悟してください」ということを、俺の気のせいかも知れないけれど涙目になって、じっくり丁寧に説明してくれた。

俺も本当に理解できたし、『この先生なら、この病院なら、ここで母ちゃんが死んでも幸せなのだろう』と思った。

そばで一緒に話を聞いてくれていた看護師の方々も、親身に話を聞いてくれていたし、素晴らしい人しかいなかった。

 

6月25日

あきらが嬉しいことをしてくれつつ、俺は病院に行く。

母ちゃんとの面会を終え、いや面会の前だったかな?

1人の看護師が俺に「今後のこととか相談はされました?」と。

俺がまだの旨を伝えると、「通常は~」とか「誤嚥性肺炎の場合は~」とか「施設の体制とか~」と本当に親身に色々説明してくれた。

「詳しくは退院が決まった時にまたうかがってください」みたいなことを言ってくれた気がするが、十分詳しかったですから!w

本当に所沢明生病院には感謝ですm(_ _)m

 

6月30日

母ちゃんがいない中、母ちゃんが7ヶ月いた施設に初めて行く。

『あ~、ここ知っている。施設だったんだ?』と思いながら、ちょっとしたことがあったので入所手続きはせず、施設の説明や、入院する前の母ちゃんのことを少し聞いた。

 

7月3日

この日は、母ちゃんがリハビリに行く直前に行ったので談話室で面会。

リハビリ担当の人が、また超いい人で。

俺たちと一緒にiPadの写真を見てくれて、母ちゃんがバイクに乗る写真を見ると「え~っ!バイクに乗ってたんですか?意外です!すごいじゃないですか!」と熱いリアクション!

温泉や桜などの写真を見れば「色々な所に行ってるんですね!」と、母ちゃんに話しかけつつ、俺に写真の感想を伝えてくれる。

母ちゃんに対して認知症だからと接するのではなくきちんと1人の人として接してくれているのが、本当にありがたかった。

 

そして、この頃かな?

けっこう母ちゃんが元気になってきたのは。

栄養を24時間の点滴で取っていて、回復具合がいいので療養型病院ではなく、施設に戻る方向に方針転換をした。

ただ、唾が多く、誤嚥しないよう夜も吸引しないといけなくて、施設だと夜はオンコール対応といい、都度看護師を呼び出さないといけなくて、万一吸引が間に合わなかったら命に関わることになってしまう。

そのため病院側が「24時間の点滴をやめ、日中だけにしてみたいと思います。それで栄養は取りつつ、夜間の唾の量が減る可能性もありますので。もちろん、万一のことが無いよう注意しますが、いかがでしょう?」と電話で聞かれたか、面会に行った時に聞かれたか、説明してくれた。

俺は今後のことも考慮したきめ細かい配慮に感謝しつつ、「よろしくお願いします」と答えた。

 

7月9日

親父を連れて病院に向かう。

6月21日に俺と弁護士が会った時に、母ちゃんの状態があまりにも良くないことを弁護士が認め、俺と一緒であれば親父が母ちゃんと会うことを裁判所にかけあってくれて許可が出たから。

この時の親父は母ちゃんが衰えてしまったことで、悲しんではいたが、まだ状況がそこまで悪いとは分かっていなかったみたい。

そして、驚いたことに親父が手を出すと、母ちゃんから手を動かし握手をした!

 

 

そして、7月13日

 

6月21日、先生の話を聞いた時は考えられなかった施設に戻るという退院ができました!

小雨の降る中、施設の人が病院に迎えに来てくれて、俺はその車の後ろを母ちゃんの後ろ姿を見ながらバイクで走ったw

施設の人も俺がずっと見てるので運転しにくかったかも?(^^ゞ

 

もう声は出さないが、反応するし、視線も動くし、握手もしてくれた!

 

無事退院できて喜ばしいことなのだが、施設にいるということは”会えない”ということ。

なぜなら、コロナの第7波で感染者が増えているから。

リモート面会をやってくれる施設ではあったのだが月に1回しかない。

何も考えずにコロナ禍で遊んでたり、制限を批判している人を嫌煙していたのはこういうことだったからです。

 

8月6日

初のリモート面会

『オンラインだと飽きちゃうかな?その前にPC越しの面会を分かるかな?』と心配していたが、施設の相談員の方が素敵でした!

ちゃんと母ちゃんに話しかけてくれて、しかも認知症の人に話しかける感じではなく、普通に会話してるように話しかけてくれる。

そう、所沢明生病院の方々のように!

そして俺が画面共有で写真や動画を見せると、それを相談員の方がそれぞれ母ちゃんに「すごいですね!」とか話しかけてくれる。

もちろん、ここでも鉄板の母ちゃんがバイクに乗る動画も見せたw

「○○さん、すごいじゃないですか!」と母ちゃんに話しかける相談員の方w

 

肝心の母ちゃんも画面をずっと見てて、反応も多かったw

バイクに乗ってる動画はもちろん、後から相談員の方から聞いたら、母ちゃんが書いた習字を見た時が「(あまり表情が無い母ちゃんだったのに)笑顔になって一番反応が大きかった」とw

そんなわけで、後日この話を聞いた俺は実家からその習字を速攻施設に持ってったw

前にも紹介したこれです

 

オンライン面会もうまく行き、次の9月のオンライン面会の予約を取り、母ちゃんの誕生日にはメッセージカードと施設から求められていたバスタオルを届け、『7ヶ月間まったく母ちゃんのことが分からなかった分、会えなかった分、この穏やかな時期がしばらく続けばいいな』と思った。

 

同時に俺はこの日、ある準備をした。

レクイエムの準備を、、、

俺がBOØWYの曲をBASSで家で弾いてたから自然に母ちゃんもBOØWYを聴いていたのだが、中でもCLOUDY HEARTが好きだった母ちゃん。

そして、YouTubeでBOØWYのBASSを弾いてみたをアップしていた俺は、母ちゃんが旅立つ時はCLOUDY HEARTで送ろうと思っていた。

自分が創ったレクイエムがいいのかも知れないけど、実際にこういう状況になると、とてもじゃないが創る気分にはならない。

本当は6月に呼び出された後に練習し始めたのだが、うまくいかず、また入院しているとはいえ母ちゃんも落ち着いてきてたので真剣ではなかった。

ただ、どこかで『やらなくちゃ』とは思っていて、本当の意味で少し落ち着いたこの時間を母ちゃんが作ってくれた間にやり切ろうと、この日CLOUDY HEARTの動画を撮影しておいた。

使う日が、できるだけ遅いことを願いながら・・・

 

ただ、そうは簡単に物事は進まず、

8月25日

母ちゃんは、また入院した。

 

朝8時くらいだったかな?

施設から電話があり「朝食を召し上がった後、けいれんされて。救急車を呼ばれますか(延命措置しますか?)」と。

「はい、お願いします!」と俺。

「わかりました。病院が決まったらお伝えします」と。

 

あらためて施設から病院を聞き、すぐに俺は病院に向かった。

そして、この最悪な病院の対応に俺は腹が立つことになった。

コロナの感染者数が多かったので、母ちゃんに会えないのは仕方ないとしても、けいれんが治まらず検査中ということも仕方ないのかもしれないけれど、前回の病院の対応とは雲泥の差。

ここには書かないが、本当に受付、看護師、リハビリ担当、医師、すべてが最悪の人ばかりだった。

『こんなにひどい人ばかり集まるもの?』と呆れ果てて、本来であれば一時も早くこの病院からおさらばしたかった。

 

1週間後、病院から電話があり、担当医師から説明を聞く。

この医師も最悪だったのだが、前回の所沢明生病院の先生に丁寧に説明してもらっていたので、何を言わんとしているか分かったし、状況は理解した。

要は、

  • もう治療しないことを前提に施設に戻るか?
  • 治療はするが管が繋がれ、本人や周りも辛くなるかも知れない療養型病院か?

ということを決断しろ、ということ。

 

9月6日

無理言って、母ちゃんの状態を確認するために面会させてもらった。

まあ、この時もひどい対応をされたのだが、それはまた別で。

 

前回の入院時と同じ感じで、もちろん反応してくれるし、写真や動画を見せればじっと見てくれる。

どちらにせよ、母ちゃんも俺たちも疲弊し過ぎてしまうことを憂慮し、覚悟を決めた。

もう治療しないことを前提に施設に戻る。

いわゆる”おみとり”ということ。

 

9月10日

俺は母ちゃんのためのお墓を探し始めた。

埼玉か?横浜か?考えるが、恐らく友達もいる『横浜がいいだろうな』と。

認知症になる前からハッキリとは言わなかったが、隠れミーハーな母ちゃんは恐らく横浜を好きだったろうしw

 

9月13日

その”おみとり”のために施設に戻ることを了承するため、施設の担当医師に説明を受けに行く。

とはいえ、あくまで形式的なのだが。

間違えて1時間早めに病院に着いた俺w

リモート面会の時の相談員の方の顔を見て安心し、そして9月から担当になってもらった新しいケアマネージャーの方。

そして、6月にこの施設に契約する時から関わってくれた方の3名が来てくれた。

 

少し待って倉庫?みたいな所で先生から形式的な説明を受け「分かりました」と答える俺。

『いつもより説明が短いかも?』と思ったか、ケアマネージャーの方が「他に聞きたいことはありませんか?」と俺を促してくれた。

というのも、この時期、コロナの第7波がピークを迎えたくらいで個人病院にも関わらずひっきりなしに患者がいた。

コロナ対応はしていなかったみたいだが、その分色々な方が診察を受けに来ていて、先生も本当に大変なんだと思う。

 

そこで俺は、

「基本的に治療しないとは思いますが、本人が苦しんでいる時はどうなりますか?」と。

先生は、

「誤嚥等で苦しんでいる時は辛さを取ります」と。

そのため基本的には苦しまないで死ぬことができるらしい。

 

まあ、これも施設の担当の方から聞いてはいたのだが、やはりきちんと先生に聞いて答えてもらえるとさらに納得できる。

いや、心の奥底では理解しきれないのかも知れないけど・・・

促してくれたケアマネージャーの方には本当に感謝ですm(_ _)m

ここで聞かなかったら、実は後悔していたのかも?

そして、このケアマネージャーの方には、後日またもや本当に感謝することになるのだが。

 

何はともあれ、先生の説明を理解したということで、今度は施設に移動し、

  • 管理栄養士(この時はいなかったが書面で)
  • リハビリ担当
  • ケアマネージャー
  • 責任者

と4名から説明を受け、”おみとり”でいいですね?という説明を受け、それぞれ書面にサインする。

しかし、病院といい、施設といい、このアナログ文化(書面)なんとかならんかね?(^^ゞ

「何かご要望はありますか?」と聞かれた俺。

「母はお風呂が大好きなので、いつまで入れますか?」とかを聞いた。

「状況にもよりますが、できるだけお風呂に入っていただくようにします」と施設の方。

6月に施設に初めて行った時にも説明を受けたのだが、最後の時についてまた質問。

諸々再度説明を受け、そして「目は見えなくなっても声は聞こえているようなので、好きな歌とかあれば流すことができますよ」と。

 

「山口百恵が大好きで!」と瞬殺で答える俺。

「あとBOØWYのCLOUDY HEARTが好きで。俺がBANDやっていた影響なんですけど」とw

「へえ、そうなんですね!わかりました!」とケアマネージャーさんが答えてくれたけれど、その時に俺はある決断をした。

 

9月17日

『”母ちゃんの最後”が少しでも楽しめるように、少しでもいい環境で』とiPadを買いに行った。

そして山口百恵さんの動画を2本、BOØWYのLAST GIGSを編集し、iPadに入れた。

 

 

そして、9月18日

母ちゃんは最悪な病院から退院し、施設に戻った。

ここから早い方は2日、長くとも、、、

 

という日々が始まった・・・

 

↓続きはこちら

認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと おみとり(脳血管性認知症6年目/2022年、80才)

 

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