2017年9月10日(日)

この日にちゃんと向き合っていたら、母ちゃんだけでなく俺の家族の人生が変わっていただろう

 

毎年”秋(9月)”に母ちゃんの状況が変わったので、

1年目:2017年9月~2018年8月

2年目:2018年9月~2019年9月

といった感じで書いていきたいと思います。

 

前夜、相川七瀬さんのコンサートを入間市民会館で観た俺は実家に泊まり、10日はいつものように昼前に母ちゃんと牧場が隣にある温泉に行った。

実家から車で2人で出かけ、入間市駅をくぐる道を降りていき16号線を川越方向に進む。

当時は狭山市に2軒あったイオンの、狭山市駅に近いイオンの交差点を左折し入間川を渡る。

入間川を渡ったら右折し、後は道なりに真っすぐ行けばその温泉に着く。

とはいえ、それなりに距離はあるが。

 

元気な頃の母ちゃん(とはいえ70才を過ぎてたが)は、歩いてここまで来ることもあったらしい!

9kmあるのに。

 

広い駐車場の温泉の入口に近い場所に車を停め、入口を入った所で靴を脱ぐ。

脱いだ靴を持ち、昔ながらの100円玉を入れるロッカーに靴を入れ温泉の受付に行く。

あれほどポイントや割引券を使わなかった母ちゃんが、この温泉ではポイントカードを使いこなしているw

ささやかな楽しみなのだろうか?

 

受付している間、いつものように手持ち無沙汰にしている俺は、受付が終わったことを横目で見て先に進み、広い廊下の左側に積み重ねてあるバスタオルとフェイスタオルを取る。

母ちゃんのタオルは取らない・・・

俺の後ろでバスタオルとフェイスタオルを取った母ちゃんと、浴室の入口で「じゃあ、後で」と声を交わしたかは今はもう記憶が無い。

たぶん、阿吽の呼吸でやっていたのだろう。

 

実家からそれなりに近いこともあり、母ちゃんはこの温泉が好きだった。

とはいえ、3番目に好きな温泉なのだがw

多分、実家に近いところでは一番大きく、色々な風呂(浴槽)があり、かつ、牧場があり、肉や野菜、果物も売ってて、お客も多いにぎやかな場所だったからだろう。

 

いつものように俺は体と頭を洗い、ぬるい炭酸泉→露天風呂→ゆらぎ風呂→室内の温泉とルーチンワークをこなし体を拭いて、脱衣場で体重を計ってからコーヒー牛乳を飲む。

そして、喫煙所でタバコを吸ってから広い廊下のベンチに座り母ちゃんを待つ。

これまたいつものように、しばらくしてから出てくる母ちゃんの姿を認めて安心する。

 

というのも、温泉では無いが、元々母ちゃんは高血圧で、以前に家で2回ほどぶっ倒れているから。

とはいえ、長年横浜に住んでいた母ちゃんが入間に来てから楽しみが少なく、かつ母ちゃんの一番大好きな温泉通いを止めることはしたくなかった。

 

受付で会計を済ます母ちゃんを俺は待ってから、靴が入ったロッカーへ向かう。

いい大人になった俺だが、出かける時は必ず母ちゃんが金を払う。

俺が出そうとしても断ることが多かったというのもあるが(^^ゞ

 

時には会計の前に温泉内のレストランで食事することもあるのだが、この日は実家への道から少し飯能寄りにあるホームセンターに向かう。

フードコートが安いからw

 

入間に来てから母ちゃんは節約をするようになった。

それこそ、親父が定年を迎え仕事を辞め、俺のじいちゃん、ばあちゃんの店を継いでから。

店を継ぐといってもたばこ販売しか継がなかったが・・・

当然、収入は減ったのだが、元々機械が好きな親父はPCやモニターをいくつも買うという浪費をするので、母ちゃんの苦労は今まで以上に増えた。

そのため節約するようになったというわけだ。

親父や兄貴の食事は用意し、俺が実家に行けば刺身や鍋を用意してくれるのに、母ちゃん自身は残り物や、ほんの少ししか食べず・・・

 

話を戻します。

前日、コンサートの後、入間市駅前のバーでお酒を飲んだ俺は、その日は体が重くかったるい感じだった。

温泉に向かう車の中から母ちゃんとも会話がほとんど無く、食事している時も母ちゃんに悪いと思いながらも、俺からも話しかけなかった。

ただ、その日ホームセンターで俺は違和感を感じた。

 

『いつも以上に喋らないな・・・』

母ちゃんの違和感を感じながらも、きちんと心配しなかった俺。

もし、この時きちんと母ちゃんに色々聞いて、何かしら対応していたら。

”見て見ぬふり”を俺はした・・・

その翌週・・・

 

2017年9月17日(日・祝前日)

話は遡り2008年

俺の父方のじいちゃん、ばあちゃんがいた入間の家に、母ちゃんと親父が住むことになった。

 

というのも、その前にじいちゃんと、ばあちゃんが亡くなり、俺ら家族が住んでいた横浜から、先に親父だけ入間の家に行った。

その親父が2007年に脳梗塞になった。

親父は車も運転できるし、それなりに元気だったのだが、左半身が若干不自由になった。

これを機に母ちゃんも横浜を離れ入間に行くことになったのが2008年。

 

それ以降、なぜか俺も毎週新たな”入間の実家”に毎週末行くことになった。

彼女もいない独り身だし、遊んだとしても泊まりはほとんど無いし、土曜か日曜のどちらか遊べば、週末のどちらかは実家に行けたから。

ただ、母ちゃんのストレス発散の付き合いのために行っていた、という理由もある。

まあ、入間に面白さも見つけてたから、というのもあるけど(^^ゞ

 

その日、俺は前日やったバンドのリハーサルで気分がアッパーだったのだろう。

楽しかった後は、新たな”実家”に行くのが面倒なこともある。

そのため夜21時頃に着いた。

 

俺が金曜の夜に来た時は土曜の昼に、土曜の夜に来た時は日曜の昼に、日曜の夜に来た時はその夜に温泉に行く、ということで俺を待つ母ちゃんの気持ちは知っていた。

『遅くなって申し訳ないな』と思いながら、その夜、実家に着くと同時に母ちゃんに「温泉行く?」と俺は聞いた。

 

異変はこの時に起きた。

 

今では正確に覚えていないが、いつも俺たちはタオルや下着をビニール袋に入れて温泉に行くのだが、この時は母ちゃんが自分で用意したのか?

それとも、すでに母ちゃんの異変を知っていた親父が用意したのか?

 

何はともあれ、いつものようにビニール袋を持って車に向かった母ちゃんが車の後ろの席に座った!

そういえば車に向かう時も、いつもと違い無言だった気がする。

 

なぜ、俺はこの時も気づかないふりをしたのだろう?

 

母ちゃんは今まで1回も後ろの席に座ることは無く、いつでも助手席に座ったのに。

『たまにはこんなこともあるのか?』と、色々な突然のことにも理解しようとしてしまう俺の性格がそう思わせた。

とはいえ、この時に俺が気づいてたしても何もできないのだが。

 

そして、いつものように入間市駅から八王子方面の16号に向かう道を進み、16号を右折したらすぐに左折し、と細い道を少し走ってから299号に入り飯能方面に向かう。

行き先は、いつも夜に行く時の定番である宮沢湖のほとりにある温泉。

 

299号を飯能の手前で右折し坂を上り、消防署を過ぎた次の交差点を左折する。

今は無いカートレース場を左目に見たら右折し、対向車に気をつけながら駐車場に向かう。

 

この時はどうだったかな?

幸いにも入口の近くに車を停められたかな?

 

いつものように母ちゃんが車を降りたところでドアのロックをかけ、2人で入口に向かう。

2つ目の異変、そして確実な異変はここで起きた。

いつも真っ先に受付に向かう母ちゃんがまごまご、

そう、それこそ”まごまご”という動きを見せた。

 

『あれ?珍しいな?』と俺はここでも”気づかないふり”をして、2人分の受付をした。

この温泉では、受付と同時に店員からタオルを渡されるのだが、そこはいつものようにタオルを受け取る母ちゃん。

受付から浴室の入口までは、いつものように歩く母ちゃんだったので、俺はまた”気づかないふり”をした。

 

後で分かったことだが認知症も色々種類あり、

 

脳血管性認知症(母ちゃんは脳梗塞による認知症)

 

だったので、いつものような場所では、いつものような行動はできていたのだろう。

それが特に好きな場所であれば、より一層。

 

そんな姿に少し安心したのか、いや”気づかないふり”をした俺は、いつものように体を洗い、露天風呂→中風呂と入り、温泉を出てからは受付近くの廊下の椅子に座って待っていた。

そして、3つ目の異変はここで、大きく、そして確実に俺に分かるように起きた・・・

 

待てど暮らせど来ない母ちゃんを心配しつつも、この期に及んでも”気づかないふり”をしている俺の前を、警官4、5人が通り過ぎていった。

2、3人だったのかな?

とにもかくにも、温泉に似合わない制服を着た警官が、浴室の方へ向かって行った。

 

『母ちゃんかも?』と思った俺も浴室の方に向かう。

警官が連れてきたのは、

 

母ちゃんだった

 

「お母さん!」と俺が駆け寄ると警官が、「ご家族の方ですか?」と。

いや、正直そんな言葉だったか覚えていないが。

「はい、息子です」と答えながら「お母さん、どうしたの?大丈夫?」と。

 

警官だったか、温泉の店員さんだったか覚えていないが、ことの顛末を説明してくれて・・・

これまた記憶に無いのだが、たしか母ちゃんは倒れてはいなかった気がする。

ただ、着替えができなかったのでは無いだろうか?

おぼろげな記憶をたどると、たしか裸で出てきてしまうので、それで店員が色々聞くも要領を得ず警官を呼んだのかも?

もはや、覚えていない俺自身が悲しい。

 

とにもかくにも、異変を明確に理解した俺は、母ちゃんと共に実家に帰り、その日は寝た。

 

翌日、親父に母ちゃんのことを聞くも

「お母さん、おかしくなっちゃったんだよ」

みたいなことしか言わない親父に呆れつつ、俺も同じ穴のむじなだった・・・

 

↓続きはこちら

認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症1年目/2017~2018年、75~76才)

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