認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症1年目/2017~2018年、75~76才)
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1年目の最後の方、やはり9月頃。
東京の武蔵五日市の少し先にある温泉に行った。
ここもまた母ちゃんと良く来た温泉。
2、3時間くらい出てこなかったのかな?
『さすがに長いな』と思っていたら、ついに閉館時間になってしまって。
それで女湯の方に行ったら係の人がいて、「ご家族ですか?ニコニコしているけど、全然着替えてくれないんですよ。もう誰もいませんので、中へどうぞ」と言われた。
『ついにこの時が来てしまったか』と思い、係の人に謝りながら脱衣所に入ると母ちゃんが籐の椅子にニコニコしながら座ってる。
俺の顔を見ると『まあっ!?』みたいな顔をして、それでもニコニコしてる。
あまり見ないようにしたが、何十年ぶりかに裸の母ちゃんと向き合った。
服を着させて、2人で車に乗って帰る。
服も全部俺が着させるのではなく、1つ1つ俺が渡すと自分では着るんだよね。
認知症1年目の夏頃から母ちゃんの口数が減っていたが、この時は何を話したんだろう?
話し方や声は、まだ今まで通りだったはず。
俺がけっこうショックを受けていたのは確か。
そして、その翌週かな?もう少し後だったかな?
Googleのタイムラインもこの時期の記録が無いや・・・。
台風で風雨がひどかった夜。
どこもかしこも早めに店じまい。
そんなわけで、実家の近くの風呂に行った時。
俺は不安になりながらも今まで通り着替えを持ってトコトコと女湯に向かう母ちゃんを見送って、風呂に入ってから受付前の休憩スペースで待ってた。
ちなみに、母ちゃんが変わってから、俺はなるべく早く風呂を出て待つようにしていた。
まあ母ちゃんが認知症になる前から俺の方が全然早く出ていたけど(^^ゞ
そうしたら、この時は1人で出てきたのかな?
ただ、係の人が俺のところに来て言いにくそうに
「あの~、別の方に着替えとかを手伝ってもらってて。お一人で来れるのであれば問題ないのですけど」と。
俺はお詫びし、『そろそろ限界かな?』と思った。
そして、そばにあるしゃぶしゃぶ屋に入って、ごはんを食べた。
もう、この時の母ちゃんは食べ物を小さくしないと噛み切れず、それでも口いっぱい頬張ってしまうので、俺が母ちゃんの分をよそって小さくしたものを少しずつ食べるようコントロールしていた。
そして『飲み込んだな』と思ったら、次の小さくした食べ物を母ちゃんの器に入れてた。
それでも、なかなか噛み切れず。
だが、目を離すとどんどん口に入れちゃうから、ある種戦いだったなw
それで口いっぱいになって噛み切れないと、口からベッて手に出しちゃうから(^^ゞ
出すにしても紙ナプキンとかにしてくれればいいのだが、それもしてくれないので、この頃から俺は母ちゃんとごはん食べる時は、箱のティッシュペーパーやフェイスタオルを必ず持つようになった。
なので、あまり混んでいる店は行かなかったな。
「アムアムってゆっくり噛んで。そうそう!ゴックンて飲み込んで。」
「飲み込んだ?じゃあ、いいよ」
というのを母ちゃんが一口食べる毎に俺が言うから周りからしたらうるさいだろうし、吐き出しちゃった時は嫌がられるだろうし・・・。
それでも、なるべくおいしいものを食べさせたいし、色々なお店に連れて行ってあげたいジャン?
そして、認知症2年目の2018年11月17日。
飯能の奥にある温泉に行った。
ここは母ちゃんが2番目、いや実家からもう少し近ければ1番目に好きだったのかも?という温泉。
昼間に行き、駐車場に車を停めて温泉の入口に向かおうとすると、母ちゃんが左斜めに歩いてしまう。
「どうしたの?」と聞きながら母ちゃんの手を取り歩く。
「大丈夫」と言う母ちゃん。
それでも建物の中は、いつも通り歩いていたし、下り階段もゆっくりながらも1人で降りて行った。
またもや俺は心配になりながら早めに出て母ちゃんを待っていた。
お叱りはあると思います。
母親を温泉に連れて行っていることに。
ただ、もう温泉以外に母ちゃんの楽しみが無くて。
他にできることが無くて。
東京で育ち、横浜で子育てし、65才になってから友達もいない親父の実家で住むことになり・・・。
今考えると、色々な人に迷惑かけてたんだと思います。
俺は『今まで来てた温泉だし、この1年間、問題無く温泉に入って無事出てきてたし』と甘えていたんだと思います。
さすがにドライヤーをすることは無くなっていたけど、実際髪も濡れ、タオルも濡れ、問題無く着替えやタオルも持って帰ってきていたので。
この日、母ちゃんは1人で今まで通り問題無く出てきたと思ってた。
助手席に座って、「何かおかしいのよね~」と首を回したり、首を触ってる。
「どうしたの?」と俺が見てみると、服とは別に首のあたりに布が出てる。
「Tシャツを変な風に来ちゃったのかな?止まって着直す?」と聞くと「大丈夫」と言うので、一旦家まで帰る。
そして、実家に帰ってから分かったのだが・・・。
パンツを着てた。
愕然とした。
恐らく、首と片腕だけパンツに通し、それできつくて「何かおかしいのよね~」と言ってたのだろう。
混んでる温泉でも無いが、すいているわけでは無い温泉なので、恐らく誰かしら脱衣所で母のことを見ていた人はいたのだろう?
どんな想いで母が困りながら服を着ていたのか?と考えると悲しくなる。
そして、その時周りにいた人に申し訳無く思う。
この日はごはんを食べずに真っすぐ実家に帰ったので、何はともあれ、ちゃんと着替えた母親と、父親も一緒にあらためて3人で食事に出かける。
入間でもおいしいカレー屋さん。
認知症1年目に行った時に「TOMOはよくこんなおしゃれなお店知っているね~♪すごいね~♪私なんか来ていいのかしら?」と喜んでくれたカレー屋さん。
もちろん、変わってしまう前にも来ていたのだが、その時はまるでフランス料理のフルコースでも食べたかのように喜んでくれてた。
街中では無く少し外れにあるし、洋風の建物で少し古くなった感はあるけど、逆にそれが趣きあって店内も落ち着いているお店。
親父も塩分が多い食べ物はダメだけど、カレーの香辛料は大丈夫なので、そういったこもとあり、この日はカレー屋さんに行った。
親父は母ちゃんの分も勝手に選ぼうとするも、俺はいつものように母ちゃんに選ばせ、カレーが来た。
そして、母ちゃんは吐いた・・・
いつものように少しの量を食べてもらったんだが、二口三口食べた時かな?
いや一口目だったかな?
ゲーッとそのまま吐いた。
急いで親父と俺は紙ナプキンで顔や服、テーブルとかを拭き、そして親父だったかな?母ちゃんをトイレに連れて行き。
それで母ちゃんは落ち着いてくれたので、少しまた食べさせたのだが、、、
ダメだった。
そして、俺たち3人は実家に帰った。
母ちゃんは2階に上がり、ふとんを敷き寝た。
そして、1週間後、、、
また母ちゃんは変わってた。
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認知症とはボケでは無く、本来の自分に還る幸せなこと(脳血管性認知症2年目/2018~2019年、76~77才)
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