9/2(日)におもしろいフェス?に行ってきた。
結論、すげぇ良い話を聞けた!
ポイントは3点
- シェア
- 不等価交換
- ありがとう
音楽フェスでは無いのでトークライブとか、ボルダリングのアクティビティなど色々ある!
“旅とPeace”をテーマに人が集まってる。
しかし幕張海浜公園は遠かったわf(^_^;
そして駅前があんなに開けてるなんて知らなかった。
それはともかく、フェスは朝からやってたんだが15時に会場に入る。
一緒に行った奴と「まずはBEERでしょ?」ということで、半分ガールズバーと化したw、バーでBEERを買ってから会場を1周。
ビニールでできた原寸大の戦車の主砲から花が咲いてるのが、このフェスのテーマを伝えてた気がするが、近くには誰もいなかったf(^_^;
特に何が見たい!というのは無かったので、肉を食べながら飲むということで、空いてるスペースが多かったテントに入る。
したら、トークライブが始まり、これが良かった!
フォトジャーナリスト:佐藤慧さん
旅幸家:永崎裕麻さん
佐藤さんはアフリカのザンビア共和国などの発展途上国を中心に活動。
永崎さんは世界を旅した後に、フィジーに移住。
そんな2人が話すことは、“価値観”について。
もちろん、ちゃんとテーマは他にあるが俺なりの捉え方で。
日本では当たり前の価値観が海外では異なる。
日本やグローバル経済に飲み込まれた国々と発展途上国の“幸せ”の違い。
などなど
シェア
日本の学生がフィジーに行ってクレームを現地の人に言う。
「なんでボールペンを借りる時に「貸して」と言わないの?」と。
現地の人は、「だってNOと言わないでしょ?いちいち聞くのは無駄じゃない?」と。
お~っ!確かに!w
まあ日本人というか、俺は「返してくれる?」ということを気にするから『借りる時は声をかけて』ということを考えてしまうのだろう。
要は“自分のものは自分のもの”という考え方。
フィジーではボールペンでも服でも“シェア”をしてるわけだ。
世界中がシェアなら、戦争は起こらないのでは?と思う。
シェアハウスとか、カーシェアリングが最近流行ってるが、フィジーのシェアは規模が違う♪
不等価交換
今度はモノをあげる話になり、
フィジーで「ライムを買ってきた」と言うと現地の人が「何個?」と聞いてくる。
「10個」と答えると、現地の人が「6個ちょうだい」と。
後日、2個ライムが返ってきたそうなんだが、『あげる』と割りきっていたのに、2個返ってきたことにより『4個損した』という気持ちを持ってしまう考え方が“数の等価交換”に縛られている。
アフリカでは、庭にあるマンゴーを魚と交換してくれたり、という話も。
何が言いたいかというと、価値観の違い。
シェアの範囲が広かったり、ライムの数やマンゴーと魚は等価か?などは気にせず暮らしている人たちと日本人では価値観が違う。
その中で等価交換に慣れている日本人は幸せをあまり感じていないかも知れないし、フィジーやアフリカの人たちは幸せかも知れない。
日本は情報が溢れていてテレビやネットはもちろん電車に乗ってても、
- 英語力足りてませんか?英会話始めましょう
- お金足りてませんか?お金貸しますよ
- 健康が足りてませんか?ジム通いましょう
などなど、“あなたは不足している人”と決めつけられている。
周囲と比較され『私は不足している人間だから周りに追いつかなきゃ!』と思わされている。
結論、資本主義の金を稼ぐためのマーケティングにまんまとひっかかっている日本人。
資本主義(サービス提供元/販売元)
↓
サービスorモノを買って欲しい
↓
訴求しなきゃ
↓
幸せな人でさえも『あなたは足りない』と認識させる
↓
訴求された人がサービスorモノを買う
↓
資本主義(サービス提供元)に金が入る
そのサービス、そのモノ、
あなたは、本当にそれが必要ですか?
それが無きゃ、あなたは幸せになれませんか?
発展途上国では、食べ物にも事欠く状況かも知れない。
でも、日本では食べ物がふんだんにある。
発展途上国では、人が人を殺している。
※ある国では子供が最初に教わるのは、“親を殺すこと”だそうです。
でも、日本では殺人は滅多に起こらない。
そんな日本にいても、あなたは幸せじゃないの?
なぜか?
価値観が違うからでしょう。
ある1つの観点からしか見れていないから。
日本でいえば、収入の多さが基準になっていることが多いかな?
世界にはお金とは関係無く幸せな人がいっぱいいます。
ありがとう
そして、最後の話題が、
「もし、右腕を人に貸すならいくら?」
前段として「ありがとうの反対語は?」と。
みなさん答えられました?
色々な答えがあるかも知れませんが、
”当たり前”
そう、ありがとうの反対は当たり前。
あって当然だから感謝しない。
誰かが席を譲ってくれても、誰かが代わりにやってくれても。
例えば奥さんがごはんを作ってくれても、旦那がお風呂掃除をしてくれても、肉はスーパーに売ってて当たり前、ごはんは精米されていて当たり前。
肉は牛や豚を殺してくれる人がいるから俺らは食べられるわけで、米は広い土地を整備し天候と戦いやってできたものなのに、当たり前。
そこに『ありがとう』と思える人が少なくなっている。
ま、俺もその1人なんだが・・・。
さて、本題に戻し”右腕を貸すならいくら?”
アームレスリングとかなら分かりやすそうだけど、右手だけで賞金1,000万円稼いだから、1,000万円みたいなw
ちなみに右腕を貸す場合、5,000万円とか答える人が多いみたいです。
では、“ポジティブな心を人に貸すとしたらいくら?”
腕も心も期間は適当に考えるとして、まあ1年としようか?
ポジティブな心を無くして、毎日死にたいとかのネガティブな気持ちのまま1年もつのかな?
それはともかく、“ポジティブな心”は1億円とか1兆円とか、要は高く答える人が多いそうです。
で、何が言いたいかと言うと、
あなたはもはや億万長者です!
これね、似たのうな考え方を山岡荘八さんが何十年も前にしてる。
柳生石舟斎が無刀取り(自分は刀を持たずに相手の刀を奪う)の修行中に師匠の上泉信綱に言われるということなんだが、
上泉「お主は誰から生まれた?」
柳生「父母」
上泉「その父母は?」
柳生「(私の)祖父母」
上泉「その祖父母は?」
柳生「(私の)曾祖父母」
上泉「その親は?」
・
・
・
柳生「先祖」
上泉「その親は?」
といった感じで、最後は、
「神」になるわけ。
天地人を作ったのは神と信じられていたしね。
で、我々は神から生まれてるんだから自信を持て!と。
あきらめずにやればできる!と。
そして無刀取りが誕生したわけです。
要は“自分は不幸だ”とか“自分はダメだ”というネガティブな考えを持つのは、本当は自分が幸せな環境にいることを、ただ気づいていないだけということ。
百歩譲って足や腕などの体の一部が無かったとしても同じくちゃんと気づけば幸せなはず。
俺は億万長者だったんだ~!
とは、さすがに思わないが、近いことはあらためて思わせてくれたトークライブ。
昔、鎖骨を折ったり足を折ったりした時に、BASSを弾ける喜び、歩ける喜びを感じたが、俺はアホだから忘れがち。
腕があるのは当たり前ではなく、”ありがとう!”
ポジティブな心を持つのは当たり前じゃなく、”ありがとう!”
そして、日本というのはそんなネガティブな情報が蔓延して、どこに行っても「あなたは足りない。そのままで大丈夫?」と批判されることばかり。
ちゃんと自分の価値を見直しましょ♪
そして、フィジーなどの発展途上国が幸せとか日本が幸せとかじゃなく、自分に合った幸せを感謝と共にちゃんと感じましょ!
いつか伝えるだろうが、俺にだって大変なことはあるが、見方を変えると大変なことも勉強になるし、とてもHAPPYな時になる。
そんな素敵な気持ちにさせてくれたお二人に感謝だし、行って良かった!と思った。
もちろん、あくまで“こういった考えもあるよ”ということだが、そういう考えに触れて自分の価値観を広がるのが良かった!
今までどおりの生き方をしてもいいし、けど、知らなかったフィジーの話やアフリカの話、もちろん俺の先輩のフィリピンの話もそうだし、アメリカやヨーロッパの話も大切。
トークライブを聞き終えて早速一緒に行った奴と、聞いたばかりの話を肴にトークライブをするというw
さて、一青窈さんの話は、また次の記事で。
て、短くなるだろうが、これまた最高だった!